hardcoreはここで始まった。ロッテルダム、1989年から1993年
オランダの港町から始まった。アムステルダムのDJたちより荒々しくハードなサウンドを求めて。あるアムステルダムのDJが新しいシーンを gabber と呼んでからかった。シーンはその言葉をそのまま自分たちの名前にした。日本には3年以内にレコードが届いていた。

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ロッテルダムは働く港町だ。コンテナ、造船所、ヨーロッパ最大の港湾、そして人口はおよそ65万人。岡山市とほぼおなじくらいの規模である。1時間ほど離れたアムステルダムには運河があり、ギャラリーがあり、そして1990年当時は、いいパーティーもあった。house と techno、趣味がよく、わざわざ国外から人が飛んでくるような種類のものだ。
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ロッテルダムは、それにうんざりしていた。
そこで何をしたかが、いまの harder styles、hardstyle も rawstyle も frenchcore も uptempo も、そのすべてが存在する理由になっている。音楽の名前は hardcore。おなじ名前のパンクのジャンルではなく、hardcore techno のほうだ。歪ませたキックドラムを軸に、150BPM かそれよりずっと速く走る。それをおよそ4年かけて、意図的に組み上げたのが、海沿いのもうひとつの街の正反対であろうとした街だった。
始まりは、市内の公園のなかに建つ古い大きな屋敷だった。1989年12月から、DJ Rob が Parkzicht で金曜の夜を任されるようになる。その部屋から出てきた音は速く、荒く、歪んでいて、キックドラムが壊れかけているみたいに鳴った。Waxweazle 名義で知られる Rob Fabrie の説明は短い。「音が硬くなったのはロッテルダム気質のせいだ。俺たちは回りくどいことをしない」

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アムステルダムはそれに気づいて、感心しなかった。1990年ごろ、ある DJ が、あの騒がしいシーンについて訊かれてこう答えている。あいつらは gabber が集まって騒いでいるだけだ、と。gabber はイディッシュ語由来のアムステルダムのスラングで、「仲間」という意味。褒めてはいない。
ロッテルダムの返事は、レコードに載って返ってきた。1992年、Paul Elstak が Rotterdam Records を設立する。そして Euromasters の最初のリリースで、レコードの内周、音が終わったあと針が回りつづける空白の輪に、彼は一文を刻ませた。
Gabber zijn is geen schande. gabber であることは恥じゃない。
彼らは悪口を受け取って、そのまま着てしまった。35年たったいまも、サブカルチャーが自分たちを呼ぶ名前はこれだ。
1992年は、ほかのすべてが地元の問題でなくなった年でもある。Rotterdam Termination Source の "Poing" がオランダとデンマークでチャート1位に入り、hardcore のレコードが国民的チャートに顔を出した。そして12月4日、Elstak と DJ Rob が Parkzicht で「A Nightmare in Rotterdam」を始める。会場はすぐ手狭になり、10倍の客が入る Energiehal へ移った。
制服のほうは、音より後から来た。アムステルダムで Multigroove を主催していた Ilja Reiman は、当時の gabber を「髪は長くて、小綺麗な白いシャツに house っぽい格好」だったと振り返っている。そして、こう続ける。「スキンヘッドと Australian は、あとから」
Australian というのはトラックスーツのことだ。正確にはテニスウェアで、Australian by L'Alpina というイタリアのブランドのもの。高い。高いことに意味があった。ボマージャケットと Nike Air Max を合わせ、色が欲しければ Cavello。男はだいたい頭を剃り、女は編み込んで横を刈った。ただし、服にはちゃんと用がある。これからやることに、重い服では6時間もたない。
そのやることが hakken だ。部屋の反対側からでも分かる。名前はオランダ語の動詞 hakken、つまり「かかと」から来ている。ステップが落ちるのがそこだからだ。骨盤から下だけが、その場で、190BPM まで上がるキックに合わせて猛烈に動く。誰かが振り付けたわけでも、教えたわけでもない。音楽の隣に現れて、そのまま居ついた。

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音と、見た目と、踊り方がそろえば、それは文化になる。次に起きたのは、だいたいそういうことだった。ID&T が Thunderdome を、イベントとコンピレーションCDのシリーズとして同時に立ち上げる。アリーナ規模のパーティーと、全国のレコード店に並ぶCD。1997年には Billboard が gabber を「オランダ初の自前のユースカルチャー」と呼んだ。Thunderdome はいまも続いている。

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そのうえで、ロッテルダムが名乗れないものがひとつある。最初の1枚だ。最初の hardcore として最もよく挙げられるのは、1990年に Marc Acardipane が Planet Core Productions から出した "We Have Arrived"。フランクフルトのレーベルである。ロッテルダムが作ったのは街と、見た目と、踊り方のほうで、最初の盤ではない。
そのかわり、ほかのすべてを輸出した。ただし、ゆっくりと。ドイツに Q-dance のフェスが来たのが2004年、オーストラリアが2009年ごろ、アメリカが2013年、チリとポーランドが2015年。オランダ発のジャンルが世界を回る巡回路になるまで、ざっと10年かかっている。

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それに比べると、1993年はずいぶん早い。日本に届いた年だ。エイベックス・トラックスが Rotterdam Records とライセンス契約を結び、『Rotterdam Techno Is Hard Hard Hard !!』を出した。つまりこの音楽は、最初の1枚の時点ですでに日本だけの呼び名を持っていたことになる。Rotterdam Techno。ここでしか使われていない名前だ。そして大阪の DIY 会場や路地裏のクラブを中心に、gabber の攻撃的な音にアニメとサイバーパンクとゲーム文化の視覚言語をぶつけたシーンが育っていった。
オランダ勢が国外にフェスをひとつも建てていないころ、それはもう日本の店に並んでいた。日本がつけた名前で。
日本はこれに遅れてこなかった。むしろ、早かった。