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hardstyle はこうして始まった。hardcore より遅く、硬さはそのままに

hardcore は速くなりすぎて、トラックがキックだけで埋め尽くされてしまっていた。そこで数人のオランダ人DJが、テンポを140BPM まで落とし、キックの硬さはそのままにして、拍と拍のあいだの隙間を、おなじキックを逆再生して曲のキーに合わせた音で埋めた。それが hardstyle だ。始まりは、オランダの首都アムステルダムのすぐ北にある元ゴルフ場のホール。日本では、人々が自宅でそれを作った。

hardstyle はこうして始まった。hardcore より遅く、硬さはそのままに

Vezoy / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

hardcore は速くなりつづけた。1990年代の終わりには150BPM、ときには200BPM を超えることもあった。その速さになると、曲中はキックドラムでほとんど埋まってしまう。ほかの音が入る余地がない。

数人のオランダ人DJが、その逆をやった。テンポを140BPM くらいまで落とし、キックドラムの硬さはそのままにした。すると、拍と拍のあいだに小さな隙間ができた。この隙間に何を入れるかが、新しい音楽を生み出した。

やったことは単純だ。おなじ硬いキックドラムを逆再生して、音を低くして、拍と拍のあいだに入れる。逆再生された音は、叩きつけるかわりに、だんだん大きくなっていく。キックが拍の頭で鳴り、そのあとの隙間を、低い逆再生の音が埋める。これを reverse bass と呼ぶ。hardstyle だとすぐにわかるのは、この音があるからだ。

そしてここからが、音楽になる一歩だ。この低い音には音程があるので、ほかの楽器とおなじようにチューニングできる。曲のキーに合わせてチューニングすると、その音はもうただのドラムには聞こえなくなる。hardstyle では、キックドラムがベース音を担っている。これが hardcore との決定的な違いで、hardstyle のほかの要素はすべて、ここから生まれている。

こういった試みをしていたのは、その多くが hardcore の DJ たちで、新しいサウンドを模索していた。そのひとりが Pavo だった。彼はすでに、オランダの首都アムステルダムのすぐ北にある小さな街ザーンダムのパーティーで、techno や hard house、hard trance をかけていた。会場は、もとはインドアゴルフ場の大きなホールだった。2001年、Q-dance はよりハードな音を作っているオランダ人DJを探しはじめ、Pavo、Lady Dana、The Prophet を見出した。そこに、ドイツやイタリアのレコードを合わせていった。よく名前が挙がるのが、イタリアのプロデューサー Technoboy の "Ravers' Rules" だ。

Denis Apel / flyingpixel.de / Wikipedia, CC BY-SA 4.0

2001年、おなじ建物で、Q-dance は Qlubtempo というパーティーを始めた。いまでも、最初の hardstyle パーティーと呼ばれているものだ。その建物は、このときすでに6年間 hardcore のパーティーに使われていて、いまも営業を続けている。

The Prophet は何年も hardcore をかけてきた DJ で、これまでにない音を自ら作りたいと考えていた。2002年、自身のレコードレーベル Scantraxx を立ち上げ、その音を世に送り出すことにした。

Denis Apel / flyingpixel.de / Wikipedia, CC BY-SA 4.0

キックドラムの音も、進化を続けていた。DJ Duro 名義で音楽を作っていた10代の Sjoerd Janssen は、別のことを試した。キックをもっと歪ませるかわりに、おなじキックを何層にも重ね、それぞれ違う音程にしたのだ。2003年に Scantraxx からリリースされた彼の "Just Begun" は、その年を代表する hardstyle の曲のひとつになり、hardstyle のキックドラムがどんな音になりうるかを、世に知らしめた。兄の Wouter は Walt 名義で hard trance を作っていた。おなじ年、ふたりは一緒にこの曲をリミックスした。そのとき使った新しい名前が Showtek で、やがてこのジャンルでもっとも有名なグループのひとつになった。

Foto: Moritz Kosinsky, CC BY-SA 3.0 DE

おなじ2003年、Q-dance は最初の Defqon.1 を開催した。Willem Rebergen という10代の若者が、Q-dance の別のパーティー Qlimax のフロアに立っていて、そこで初めて hardstyle を聴いた。彼はその夜、DJ になることを決めた。のちに名乗った名前が Headhunterz だ。

Q1q2q3qwertz / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

2008年には、Wildstylez として DJ をしていた Joram Metekohy と組んで、Project One を始めた。

Caesar / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

hardstyle は、hardcore とおなじようには日本に来なかった。hardcore は、日本の会社が権利を買ったレコードとして、日本語の名前がジャケットについた状態で届いた。hardstyle には、そういう瞬間がなかった。そのかわり、人々の自宅で、少しずつ育っていった。Ryosuke Tachibana と Ayato Shinozaki は、何年も日本で hardstyle を DJ としてかけていたが、2011年から Massive New Krew として自分たちの曲を作りはじめた。いまでは日本でいちばん知られた hardstyle のユニットだ。ほかの日本人プロデューサーも、あとから続いた。Laur は2015年から、Odeta は2017年から。2018年には Yuta Imai が、ひとりで TOKYO HARD DANCE というレコードレーベルを立ち上げた。あとから人が加わり、その4年後に最初のクラブイベントを開催している。

ザーンダムでは、hardstyle は新しい音を模索するパーティーの主催者たちから始まった。日本では、音楽を作る人たちから始まった。

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